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女化騒動・・・牛久助郷一揆 [歴史への旅・武士の時代]

一〇月二一日は国際反戦デーと言われベトナム戦争当時から平和のための活動にとって重要な日であるが、その起源は学徒出陣記念日である。この日は実はもう一つの記念すべき事柄が重なっている。文化元年(一八〇四)一〇月二一日は牛久助郷一揆が終結した日だ。女化騒動とも言われているこの一揆には現代的意味があることを論じてみたい。

女化騒動に関しては茨城県立歴史館の図書室で見られる野口三郎家文書「女化騒動治定記」という原資料がある。閲覧を申し込むと封筒が渡され、中に古文書そのものが入っていて驚いた。今にも破れそうでページをめくるのもはばかられるようなものだ。阿見町一区南十字路には犠牲者の供養塔もある。

牛久沼は今よりも大きく広がっていたので、当時の水戸街道は国道六号よりももっと東、今で言う県道四八号線の所にあった。中村宿(土浦)から、牛久宿を経て若柴宿(龍ヶ崎)に至る道だ。荒川沖宿は牛久宿の合宿となっていた。宿場には人馬が配置され大名行列には運搬役務が割り当てられていた。問屋が請け負い、駆り出された農民には日当が支払われたが、半強制的であり賃金の過多を問うことはできなかった。

時代が進み、交通が頻繁になってくると、人馬の供出が村内では足りなくなり、近隣の村にも役務割り当てを広げることになった。これが助郷である。付近七か村に限定的に規制された定助郷では足りなくなり三四カ村の加助郷特区が一〇年の時限立法で許可された。何時の世にもこうした規制緩和にまつわる政治利権は一部の金持ちの懐を肥やすことになる。

助郷が広がるとかなり遠方の村から牛久まで行かねばならず。一日の役務日当のために往復を含め三日も四日もかけなければならない。秋の収穫や田植えの時期に三日も家を空け、なおかつ田畑を維持しようとすれば、過労死しかねない過重な労働になる。やむなく、問屋に金を払って代人を雇ってもらうことになる。結果として、問屋はまるで税金のように助郷各村から金を搾り取ることが出来た。

なんとか耐え忍んで一〇年の期限が終わろうとした時に、久野村の名主和藤治、牛久宿の問屋治左衛門、阿見村組頭権左衛門らは、交通の発展のためとして、期間の延長と百六ケ村に及ぶさらなる加助郷の範囲拡大を願い出た。これが伝わったことで農民達の我慢は限界に達した。

小池村(阿見町小池)の百姓勇七四二才と百姓吉十郎三八才、桂村(牛久)の兵右衛門四〇才らが中心になり百六ケ村に高札を立てて女化神社への蜂起結集を呼びかけた。一〇月一六日のことである。一九日未明女化原に約五〇〇人が集合、手代木村、倉掛村、花室村、などからも到着して夜には六千人にも膨れ上がった。

集まった農民を前に、かがり火に照らし出された勇七が、一世一代の口上を述べた。

「この度、大勢の皆様を相招きしことは、兼ねてより張札場に廻文の通り、近隣村々の末迄の困窮を救わんがためなり。先頭となって我等戦うは、百六ケ村のため。そのために捨てる命、如何に惜しからん。各々少しも気遣うことなかれ。」

一揆の目的が加助郷の延長が不当であることを世に訴えることであり、そのために自らの犠牲をいとわないことの決意表明である。農民は隊伍を組み、選ばれた頭取が隊を指揮した。農民たちは牛久宿に向けて進撃を開始した。

一九日、久野村の和藤治宅を襲撃。二〇日、牛久宿問屋麻屋治左衛門を襲撃。二一日には阿見村組頭権左衛門宅を打ち破った。頭取たちは、近隣への迷惑を掛けない事と掠奪の禁止を皆々に約束させた。その結果、一揆勢は富豪の家を徹底的に打ち壊したが、相手には決して危害を加える事なく女化稲荷に引き上た。

幕府は直轄天領での一揆に驚愕して、旗本や近隣諸藩に鎮圧命令を出した。農民側では軍事的にまともに土浦藩兵などと戦って勝てるわけが無いことはわかっていたので、鎮圧兵が牛久宿へ向かっているとの情報を得て、二一日の時点で解散を決めた。牛久加助郷の問題を天下に知らすことは、これで十分にできたのだ。

農民達はそしらぬ顔で村々に戻ったが、幕府の追及は厳しかった。事件後指導者三人は捕らえられ、上郷陣屋で取り調べられさらに詮議のため伝馬町牢屋に移された。当時の常として過酷な拷問で三人とも判決を待たずに獄死した。しかし、三人は共謀した他の者たちの名を一切口にしなかった。これだけの騒ぎには当然その原因が問われ、問屋側も和藤治が一揆の原因を作ったことで追放になった。助郷そのものは、その後も続いたが広範囲な拡大は行われなかった。

アナーキーな破れかぶれな一揆ではなく、整然と計画的に行われたことと、過重労働を取り上げて、規制緩和の利権に対して戦われた点が私の言う現代的意義である。この戦いに私が住んでいるつくばからも参加している。先進的な戦いがこの地であったことは是非とも顕彰されなければならないし、このことをつくばの人たちの多くに知ってもらいたいと思う。
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