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地方の時代はやってくるのか? [歴史全般]

「地方の時代」などと言う言葉がt使われ一時はブームにもなった。しかし、いまだにそのような時代の片鱗もない。過疎の村々は年寄りしかいないし、鉄道もどんどん地方は廃線になっている。TPPで農業が壊滅すれば地方が滅びる時代にすらなりかねない。「地方の時代」という言葉は単なる願望によるものでしかないかのように思われる。

昔に遡って「地方の時代」考証してみよう。日本の古代はもちろん地方の時代だった。大和政権が国中を制覇しても、地方は半独立で独自に運営されていた。それは通信手段が未発達なためのやむを得ぬ状況としての「地方の時代」であった。文字文化が普及し、律令が整うと次第に中央集権化されて、隅々まで統治が行き届くようになった。奈良時代には公地公民で完璧な中央集権が達成されたことになっている。

これで「地方の時代」は終わったのかといえばそうではない。律令制度の結果、地方豪族は消滅し、租税は国庫に一元化され、地方自治は無く、5年ごとに交代で中央から派遣される国守が地方を治める、こうした役人はすべからく実力主義で科挙により選抜される。という筋書きではあったが、実際は違っていた。

中央集権は崩壊せざるを得ない弱点を持っている。人事は中央だから、真面目に5年も地方に行っておれば、政界から脱落してしまう。皆、代理者を派遣して自分は中央に残った。陰位ということで、高級官僚の子弟は家柄で試験に合格したから事実上の世襲制になってしまった。有力者は荘園と称する国税免除特区を手に入れるようになった。

権力は中央に集中しても土地は動かせない。中央集権のもとで、結局地方は荒れるに任された。中央集権では地方に散在する最も基本的な生産資産である「土地」を有効に使えないということだ。農民達は自らの安全を保つため自衛するようになり、都から零落してきた武人を頭に頂いて、独自の武士道イデオロギーで強固な結束を持つ集団を形成していった。これが武士の起こりだ。

鎌倉幕府は決定的な中央集権の崩壊を意味し、再び「地方の時代」となった。武士は地方に土着し、農業生産を指導した。経済は新たな発展を見た。発達の結果再び「地方の時代」になったのである。守護地頭は中央からの派遣ではなく、世襲制で、何代にもわたりその地方の発展と命運を共にした。これは地方の発展を促しはしたが、その権力の根源は中央の威光ではなく地方の実力と言うことにもなった。無秩序な地方の時代の欠点はここにある。実力で合い争う戦国時代になってしまった。

騒乱を経て結局落ち着いたところは江戸幕府という官僚化した武士による中央政府が地方を支配する幕藩体制であった。中央集権と地方分権の折衷であったと言える。民衆の統治は各藩それぞれに行われ藩札などの通貨発行権まで地方にあった。だから、江戸時代は今日から見ればやはり「地方の時代」だったとも考えられる。

再び中央集権が復活したのは明治の王政復古で、廃藩置県で幕藩体制は無くなってしまったし、地方の権限はごく限られたものになった。高等文官試験ということで科挙も復活した。知事は内務省からの派遣だったし、官吏も上部は中央からの派遣だった。地方自治なるものはもはや存在しなくなった。その一方で地方から上京した人材が文明開化を押し進め中央集権の集中力を発揮した。どの地方にも藩校や寺子屋が普及し、人材育成の体制があった。長い間地方に蓄えられたエネルギーが一気に集中した効果は大きい。

同様な現象は、ヨーロッパでも見られ、イタリアやプロシアは小国分立から統一国家の形成で急速な発展を果たした。アジアの朝鮮や中国では十分な封建制の発達がなく、古代の中央集権のまま来た。朝鮮などはソウルだけが都市であり地方都市の発達はないままであった。これが、近代化の速度が遅い原因であったと考えられる。日本の場合、長い封建制の「地方の時代」があったのからこそ急速な近代化を達成できたのだ。

明治の中央集権化は徹底したものだったが、それでも徳川300年で形成された「地方」は健在であった。もちろん、土地所有権の流動化が小作と不在地主を生み出し、地主の資本蓄積が都市の工業を興したのではあるが経済のバックボーンは依然として農業だったからだ。農業は土地に硬く結びついており動かすことができない。これが中央への経済の吸い取りを防いでいた。

中央集権による集中力の発揮は瞬発的なもので長続きはしない。中央集権が進むと、地方は荒れる。工業化が進んでしまった今では、過度な中央集権のもとで、地方の衰退が進んでいる。農業の没落で地方経済は沈滞し、文化的にも地盤沈下が進んでいる。例えば東大入学者の三分の一は東京圏であり、地方からの入学は人口比を考慮してもかなり少ない。人材供給源としての地方も成り立たなくなってきているのだ。


戦後、新憲法の下で地方自治が導入された。これは再び地方の時代を形成する機会ではあったし、工業化された時代にこそ地方の住人が自らの身を守るための自治が必要だったのだが、その意味は理解されないままに年月が経過した。自治体は補助金に釣られて年とともに中央政府の下請け機関化し、憲法が求めた地方自治は失われていった。農業の衰退が地方を決定的な衰退に落とし込んだ。


それでは再び地方の時代がやってくるだろうか?もはや農業を基盤とすることはないから土地の必要性は薄い。もし、地方の時代が来るとすれば、それは距離が意味を成さなくなるときだろう。ITの発達で、人々が、ネットワーク経由で仕事をするのが当たり前になれば、東京からの距離は関係がない。毎日出勤するのではなく、在宅勤務なら景色がよい、空気の綺麗な所に住みたいだろう。国会がネット上で運営されるならば議員はだれも地元を離れない。自然と権力は地方に分散される。会社の本社も特に所在地がなくともネットワーク上にあればよいことになる。

風景や空気・環境が生産に欠かすことのできない大きな資産と考えられるようになれば再び地方の時代がやってくる。案外、そんな日は遠くないのかも知れない。それまでは、中央集権のために地方は浮かび上がれず、バックボーンを失った日本全体がたそがれて行くのも仕方がないことだろう。
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