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道鏡事件の真相と和気清麻呂の処遇 [歴史への旅・貴族の時代]

道鏡事件は、悪僧道鏡が称徳天皇をたぶらかして、皇位の簒奪を狙った事件だとされて来た。道鏡一派が宇佐八幡宮の神託を偽造したのだが、和気清麻呂が八幡神の正しいお告げをもたらして撃退したという続日本紀の物語だ。道鏡と称徳天皇の男女関係がセンセーショナルに扱われることも多い。

しかし、続日本紀の記述は不可解なところがあり、記事をそのまま鵜呑みにするわけには行かない。そもそも八幡神のお告げの真偽などと言う話の全体が神話めいて真実ではあり得ないのだ。

続日本紀は編年体で、位階の昇進とか、飢饉があったとかの短い記事が淡々と続く。時折天皇の声明である宣命が現れ、この部分は少し長い。漢文ではなく助詞を入れ込んだ宣命体と言われる書き方で、天皇の言葉を書記が記録したものだ。

道鏡事件の推移を記事からたどることは難しい。769年9月25日にいきなり宣命があり、これに長い解説文が付き、6日後にもう一つの宣命がある。これが記述の全てなのだ。

第一の宣命は確かにそれだけでは何のことかわからない内容のものだ。和気清麻呂と姉の広虫がウソをついたと怒り、名前を穢麻呂に変えさせろとか大人げない腹の立て方をして降格を命じている。しかし、どんなウソをついたのかその内容には言及していない。

6日後の第二の宣命では、連綿たる皇位の正当性を語り、軽々しく皇位についてあれこれ語ることを戒め、皇位は天命で定まるものだとしている。

この2つの宣命の間にある解説文が事件の成り行きを述べる全てだ。しかし、解説文に出てくる出来事を裏付けるような記事は他には何処にもない。これは明らかに編纂時に書き入れたものだ。

道鏡が皇位の簒奪を狙った。「道鏡を皇位に付ければ天下泰平」という宇佐八幡宮の神託が出たという話を習宜阿曾麻呂が持ち込み、天皇は側近の和気広虫にそれを確かめに行かそうとした。広虫は女の足では遠いと弟の清麻呂を推挙した。命を受けた清麻呂は宇佐に行って八幡神と対話して神託が偽物であることを報告した。これで道教の陰謀は破綻した。と言うわけだ。

この解説に従えば、第一の宣命にある清麻呂のウソとは道鏡への譲位を否定した報告と言うことになる。それがウソならば神託は本物で譲位は実行されて良い。 ところが実際には譲位は行われなかった。第二の宣命で清麻呂の報告をウソではないと納得した称徳天皇が譲位は行わないという宣言したと受け取ることも出来る。

しかし、清麻呂への処罰はその後もエスカレートして行き、大隅への流刑に至る。称徳天皇は清麻呂がウソをついたという事を撤回していないのだ。ウソをついたのは清麻呂のはずだが広虫まで流刑になっているのもおかしい。

続日本紀の記事はその後もまるで事件がなかったかのように淡々と続く。相変わらず道鏡は重用され、一緒に弓削に行幸したりしている。

変化が起こるのは称徳天皇が亡くなり光明天皇が即位してからだが、当時にも皇位簒奪未遂事件という見方があったとは思われない。道鏡も薬師寺に左遷されたのではあるが処罰されたわけではなく、清麻呂も都に呼び返されただけで表彰されていない。神託を最初に持ち込んだ習宜阿曾麻呂は大隅守に出世している。

こういった続日本紀の不可解な記述をどう解釈したらいいのだろうか。中西康裕さんは解説文は続日本紀の編集者が勝手に入れた捏造記事で実際には道鏡事件なるものはなかったとする。

第一の宣命は清麻呂・広虫が皇位の継承について何か意見を出し、それに対して怒ったものだ。第二の宣命は、皇位に関してとやかく言うなと言うものであるから辻褄は会う。事件がなかったものとすれば他の記事全体とも整合性がある。しかし、続日本紀が書かれたのはわずか25年後である。まだ人々の記憶もある時に全くの捏造記事を挿入する事は難しいのではないだろうか。

瀧浪貞子さんは、称徳天皇はもともと道教に譲位するつもりはなく、神託確認は道教の皇位要求をなだめるためのものだったとする。清麻呂が天皇の真意を誤って道鏡排除と言うことまで報告に入れてしまった言う解釈をしている。だから清麻呂に怒ったのだが、譲位は行われなかった。しかし、長年の傍仕えである和気広虫に考えが解らぬはずがないだろうし、当然清麻呂にも伝わったはずだ。勘違い説には無理がある。

宇佐八幡宮の神託をめぐっては、続日本紀の編纂からわずか25年前の事だから、やはり何らかの事件があったと考えるべきだ。しかし、解説文は大幅に歪曲されたもので、そのために前後の記事と釣り合いが取れなくなってしまった。実は道鏡への譲位というのは称徳天皇が主導しての企てで、それが頓挫しただけの事件だった。広虫・清麻呂は腹心だから気脈を通じて譲位に協力してくれると期待したのに裏切られた怒りが第一の宣命。報告の結果、譲位は諦めたのが第二の宣命である。

それでは悪僧道教の陰謀という解釈はどこで生まれたのか、それは続日本紀の編集の時点で、天皇自らが万世一系の皇位を否定することを試みたという事実が大変都合の悪いものだったからだ。天皇制の血統主義こそが藤原氏の権力の源である。一切の疑念は排除しなければならない。続日本紀の編集者はこの事件を称徳天皇の所業ではなく、道鏡が主導したものだと歪曲したのである。事件の後処理と解説文に矛盾が生じたのはそのためである。

奈良時代というのは仏教思想が非常に強い影響を持った時代だった。釈迦が王位を放棄したことからもわかるように、仏教思想と天皇制とは本来相容れないものだ。聖武天皇は皇位伝承への意欲が薄く、仏道修行への傾斜を強め、前代未聞の生前退位まで行い、出家してしまうということに至った。

独身女性の身で皇位を託された孝謙天皇の使命は、持統天皇以来の歴代女帝の草壁皇子系統への極めて強いこだわりを引き継ぐものだった。一旦は淳仁天皇に譲位したものの、結局、同じ天武系でも、舎人親王系を認めることができなかった。天智系などもってのほかだったから皇位継承問題は行き詰まりでしかない。

父に習った熱心な仏教主義者でもあった称徳天皇が皇位を仏僧にゆだねて政教一致の体制に移行してしまおうと考えたのは自然の成り行きかも知れない。宇佐神宮の神託を使う皇位問題の解決を思いついたのは称徳天皇自身だ。

伝聞程度でしかない神託を勅使の派遣で公式なものにしてしまう。清麻呂に八幡神と対面して真意を確かめて来いなどとあり得ない命令を出した。腹心の法均の弟なら気脈を通じて、神様に会ったが神託は本物だったと報告してくれるはずだと期待したのだ。

しかし、当然のことながら称徳天皇の思い付きは伝統貴族や官僚たちにとって迷惑なものでしかない。実務官僚である清麻呂は称徳子飼いと言えども積極的な宗教国家派ではなかった。混乱が目に見えている極端な変革に賛同するわけには行かなかったのだろう。

清麻呂はそ知らぬ顔で宇佐に行き、八幡神と対面した結果として、神託を否定した。この事で称徳天皇の計画は頓挫した。神と対面したというのが清麻呂のウソである。しかし、会って来いと命じたのは自分だから何がウソと指摘するわけにも行かない。宣命の感情的な表現は小細工の裏をかかれた悔しさを表している。

解説文にある文言、「わが国は開闢このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」はいかにも藤原氏好みで、おそらく捏造である。清麻呂は称徳側近であり仏教への傾斜も道鏡の重用も理解していたから、こんな事を言うはずがない。「そんな神託は出ていない。皇位を譲ってしまうのはやりすぎだ」と言った、称徳天皇を諫める程度の文言だっただろう。だから激しく怒った割には清麻呂への処置は穏当だったのだ。天皇の怒りを買って死罪となった人はいくらでもいる。

第二の宣命にある、皇位は天の定めるものであるとする言い方は、称徳天皇の皇位継承問題に対する居直りと読める。仏教国家への転換を否定された今、皇位については、もう、なるようにしかならない。あたしゃ知らないよという宣言である。だから清麻呂に対する処罰は続け、道鏡の重用も続ける一方、皇位継承については何も語らなくなった。

称徳天皇没後、いろんな逸脱を正さなければならないという事はあった。法王などという地位はなくなった。清麻呂が都に呼び戻されたのはその一環であったに過ぎない。その後起こった事柄を見れば、称徳側近が宮廷から排除されることになっただけの事だと考えるしかない。道鏡は遠ざけられたし清麻呂は正五位に復位したが事件後10年に渡って昇進もしていない。

光明天皇からは疎んじられていた清麻呂であるが、桓武天皇になってからは逆に重用されるようになった。母親の出自のために桓武天皇は皇族ではなく官僚としての道を歩んでいたから、同僚として宣託事件での清麻呂の機転を利かせた対応などを見ていたのかも知れない。

活躍の場が多くなり、続日本紀の記事に登場する回数も多い。摂津太夫として淀川水系の河川工事を行い、さらには平安京の建設を行った。こういった事績が清麻呂を神と対話出来てもおかしくない人物とみなされるようにしていった。

続日本紀が編纂されたのは797年、まだ清麻呂が存命していた時であるが、清麻呂は実務官僚であり、イデオロギーにはこだわりがない。いまさら八幡神との対話は機転を利かせたウソだったとも言えず、苦笑いしながら続日本紀の歪曲を受け入れたことだろう。日本後記では身の丈3丈の大神などとさらに尾ひれがついている。
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